日本で3軒〜木蝋工業所〜島原にいるスゴイ人「しマイスター」第10弾

しマイスター

島原半島にいる匠の技を持つ職人をもっともっと地域の人にも知っていただこう!というこの企画。
今回は、島原市有明町にある木蝋工場を訪ねました。

紅葉しているハゼノキ。
枝からは茶色をした粒状の集合体がブドウのようにぶら下がっています。
私たちの生活で使う坐薬や軟膏の基剤、ポマード、石鹸、クレヨン、また和蝋燭の原料となる木蝋の大元、櫨の実です。

【驚愕】櫨負けは時期によるもの?!

これは櫨の実を採取したものですが、「櫨=かぶれる」という話はご年配の方から往々にして聞いてきたのではないでしょうか。
というのも、今のように娯楽など発達していなかった頃、山遊びをしていた時に櫨の樹液によってかぶれる事があったため、櫨は危険なイメージが定着したのだと考えられます。

夏の草刈りでも負けてしまう事があるように、花を咲かそう!実を付けよう!とする春〜夏にかけて、植物は自分の身を守るための成分を出しているのだとのこと。

反対に櫨でいうと、秋〜冬にかけて葉が落ち、実の部分だけ残るとそこから腐敗し病気の原因になる事から「ちぎりこ」と呼ばれる方々からちぎってもらわなければなりません。
この時期では櫨によってかぶれる事はないと言います。

こちらは採取したものを実と皮や枝とを分けるお米で言う脱穀機のようなもの。

取り出された実は、機会を通って蒸し器へ。

蒸し上がった実は、「玉締め式圧搾機」で蝋分を絞り出します。
機械の中でもとくにヴィンテージさを感じるこの圧縮機。
昭和12年に製造され現役で働く「玉締め式圧搾機」では日本で唯一のもの。
またこの一連の作業は江戸時代から続く方法を大事に守り通しています。
薬品を一切使わずに油を絞るため、人にも環境にも優しい木蝋が生産されています。

現在木蝋を製造している業者は全国で福岡県、愛媛県、そして長崎県は島原の3軒のみです。


<木蝋を生産をするようになったきっかけは…>
今から約200年前、寛政4(1792)年、大地震による眉山崩壊で大津波が発生し、城下町を襲う「島原大変肥後迷惑」が起きました。
島原藩は火山灰に強いハゼノキ10万本を植え、木蝋生産に力を注ぎ、財政を立て直しました。

そのハゼノキは平成3年には、「雲仙普賢岳噴火災害」が起こり、櫨の木が火砕流で消失するなど、壊滅的な被害を受けました。

その後、最近では木蝋の必要性を見直した有志が集い、時間をかけながらハゼノキを増やしていますが、まだまだその木の数は足りず、全国的にも慢性的な原料不足が続きます。


【参考資料】
化粧品(24%)/口紅、眉墨、クリーム、ポマード、チック
和蝋燭(13%)
文房具(8%)/ボールペン、フィルム、クレヨン、クレパス、鉛筆、カーボン紙
医薬品(8%)/軟膏、座薬、乳剤、外科用包帯
工業品(7%)減摩剤用、油滑剤
輸出用(40%)

蝋分を搾ってからそのまま冷却して固めたものを「生蝋」(きろう)と呼びます。
さらに蝋燭の仕上げ用などにはこれを天日にさらすなどして漂白したものを使用し和蠟燭が作られます。


和蝋燭のオススメポイント!

①仏壇、物具に優しい♪
石油で作られた蝋燭はススがベトベトするので金箔がはがれやすい反面、櫨の実から絞る自然の油「木蝋」を原料にしている和蝋燭は、ススがサラサラしていてとりやすい。

②結婚式などの贈り物に♪
炎は大きく、揺らめきがある。
温かみがあり少々の風では消えないので、縁起物にぴったり!


炎が大きく揺らめく秘密は蝋燭の中が煙突式の坑道をつくっているから。
この揺らめきに感動されて、和蝋燭のファンになる方は数知れずです。


絵付けが施された和蝋燭は趣があり、日本風情を感じられます。

本多木蝋工業所では、伝統的な和ろうそくを手作りし、絵付けを体験するプランがあります。絵に自信がない方でも大丈夫!

案内してくれた代表の本多俊一さんは「島原で木蝋文化を絶やさぬよう、活動を続けたい」と語ります。

【本多木蝋工業所】
〒859-1413長崎県島原市有明町大三東丙545
駐車場有り:大型観光バス可
TEL.0957-68-0015
HP https://shop.honda-mokurou.net
Instagram @honda_moku

Yukinori

Yukinori

adthink代表取締役。 島原生まれ島原育ちの1978年生まれ

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